マイカ

 カラン、とベルのいい音が鳴った。と同時に、喧噪が耳に飛び込んでくる。笑い声が大半、あとは酔っぱらいの戯言。半ば無理矢理に連れてこられたショットバーで、こっそり元凶である先輩から離れて僕はカウンターに向かった。たまったもんじゃない。静かな場所の方が好きだとあれほどいったのに、こんなところに連れてこられるだなんて。
 カウンターに座って一呼吸つくと、品の良さそうなマスターが注文を尋ねてくる。とりあえずウイスキーのロックを頼むと、少し驚いた顔をしてマスターはウイスキーを取り出した。そんなに酒に弱そうに見えるんだろうか、僕。
 カラン。またドアのベルが鳴る。それと同時に、酷く大きな声が耳を貫いた。
「よう!元気してっか、コーダ!」
 体格のいいその男はドスドスとカウンターまで一直線に歩いてきた。そしてドスンと椅子に座ると、調子のいい声でバカルディを注文する。
「やめとけ、バカ。いいことねえぞ。」
 マスターがそっと止めるのも聞かず、むしろ早く早くと急かしている。あんまりお関わり合いになりたくないタイプだ。豪放磊落、悪く言えば単純バカ。どう付き合っても絶対にこっちが被害を受ける羽目になるタイプ。因みにさっき僕を無理矢理連れてきた先輩もまさにそうだ。
「ほら、バカルディ。」
「ありがとよ、コーダ!」
 そう言うと男はグラスを鷲掴みにし、一気に呷り―――吹き出した。
「っえ、は!?」
 思わず素っ頓狂な声を出してしまった。何事だ。咽せたのか?隣の男がえほえほと咳をしているのをよそに、マスターはいつものことだと言わんばかりに咽せた酒をお盆でガードし、周りのグラスにもあらかじめタオルが被せてある。
「だからやめとけって言ったろ。お前酒弱いんだから。ほら、水。あとマティーニ。」
「だってェ!今回こそ行ける思てェ!でも何回やっても同じや思ってェ!あなたにはッわからんでしょうねェ!!!」
 何を言っているんだ。何で急に関西弁なんだ。と言うか、酒に弱いのにバカルディなんて頼んだのか?何を考えているんだ。
「わかりやすく言え。」
「どかっと座ってバカルディのロックをぐいっと飲んだらカッコいいかなって。」
 ダメだ。この人バカだった。何なんだこの人。飲めない酒を飲もうとしたのか。さっきまでとは口調すら変わっている。こっちが本性か。
「今日は別の客もカウンターにいるんだ、あんまり変な行動おこすな。」
 マスターの言葉につられるように男は僕を見る。さっきまでの堂々とした姿と同じ人物だとはとても思えないくらいに目を丸くしている。あんまりまじまじと見られても困るんだが。
「いや、悪い。変なとこ見せちゃったね。いつも見た目と言動が似合わないって言われるのがコンプレックスで……。」
「はあ……。」
 男はそういうと何かご馳走すると言ってきた。あまり人に借りは作りたくないが、善意のようだったので受け取ることにした。あんまり断っても変人だと思われるしな。
「そうだ。俺は龍名依流。通称イル。君は?」
 思い出したように名乗るので、僕もつられて名乗ってしまう。
「ああ、美義白磁です。」
「どんな字を書くんだ?」
 横から言ってきたのはマスターだった。このマスター、どこかで見たような。とにかくメモに名前を書くと、マスターはじっと見た後メモを置いた。
「じゃ、あんたはミギーだ。」
「ミギー!?」
 急に変なあだ名をつけられた。いや、僕そんなの求めてないですが。
「ちなみに彼は庚田荘司、コーダ。」
 いやいや、紹介されても困る。大体あだ名なんてもらっても。
「この店であだ名をもらうといいことがある。」
「え?」
「……という噂がある。大事にしとけ、ミギー。」
 もう定着してしまった!最悪だ!あだ名が定着するってことは、またこの店に来なきゃいけないってことで……。
「あ、あの僕、今日は先輩のお供で……。」
 そう言いながら先輩の方を見ると、完全に飲みつぶれている。何なんだこの先輩は!
 仕方なく先輩を抱え上げると、僕はお会計を済ませてとっとと出ることにした。
「じゃ、御馳走様でした。」
「また来てね、ミギー。」
「ほっといてもまた来るさ。あんたは早くカクテル飲んじまえ。」
 そう言う二人を見ることもなく僕は店を後にした。先輩を恨みつつ。

 また来るなんて、本当に思ってなかったんだ。