犬が星見る。
「今のまま大人になる、トカ、できないんだね」
そいつは、俺のことも見ないまま、唐突にそう言ってのけた。
「じゃあどうすんだ。今のまま死んどくか?」
冗談でも本気でもなくただ単にそう言ってやると、随分と目を見開かれた。そういえばこいつには死ぬっていう概念が無いんだった。
「しぬ、ってきえる、ってこと?」
しかし意外にもどういうことかはぼんやり把握していたようで、でもまああながち間違っちゃいないな、と肯定で返す。すると、そいつは、へら、と笑った。
「いーかも、それ」
それは、3つだったこいつに、現実を告げたときと同じ響きだった。
ほんの少しだけこいつと会話して理解したことは、どうやらこいつは中学までの無駄に大人びた性格を取り戻したらしい、ということだけだった。それがこいつに、大人にならなければならないことを気づかせてしまったようだった。両親の居ないこいつにとって、子供で居続けることは酷く難しい。俺が金を出し続けようが何だろうが、このままで居る事には限界がある。その限界が肉体的なものなのか、今のこいつのように精神的なものなのかにかかわらず、だ。一時は俺の仕事を手伝わせることも考えたが、そもそも手元に置きたくないが為に金だけを与えて自立させたのだ、という事を思い出してやめた。幾分かは懐いているとは言え、冷静に状況を見て正しい判断が出来る奴を近くに置いておくのはあまりにリスキーだ。その為にこいつはとんでもない選択をしたわけだが。
「ア、でもね」
思い出したように、と言うよりかは最初から決めていたことのように話し出す。いつもと変わらない口調なのに、その軽さだけをどこかに置いて来たような、意志の強い言葉。
「チョットだけ、お別れしてこなきゃいけない」
そうして出てきた言葉は一番意外な物だった。殆ど誰にも懐かず、顔すら覚えなかったこいつが「お別れ」なんてものを言おうと思えるようなことが。そこまで言わせた相手はおそらく物や動物ではなく人間だろう。何となくの勘にしか過ぎないが、それでも確信が持てる。直接繋がってなかろうが、元の血は同じだ。
準備ができたら来い、と告げるとあいつは頷いて出て行った。きっと、今からその相手に別れを言いに行くのだろう。
そういえば、と思い返す。初めてあいつを見てから、もう18年が経った。あいつの家族が消えてからなら15年だ。正直面倒で鬱陶しかったが、それでもよくあそこまで育ったと思う。実際、俺は何もしていない。おおよそがあいつ一人で育ったようなものだ。しかし、唯一の血縁者だからかもわからないが、中学に入ってぶっ壊れた後のあいつも、それまでのあいつも俺のことをよく慕ってくれていた。あんなに慕ってくれる奴はもう出会えないだろう。死に損ないのくせに、全く、惜しいものだ。
そうして、存外自分もあいつの事を気に入っていたんだと気づく。ここまでしなければ気付けないとは。つくづく自分は大馬鹿者だ。悔やんだって仕方も無いが。そして、別れを告げに行った相手を羨む。俺もそこまで気に入られてみたかったさ。たった一人残った、家族だものさ。今更、仕方の無い事なのだが。
このまま一人で生前葬していても意味が無い。携帯を取り出して、ステキなお職場に連絡をする。可愛い甥っ子の葬式に、仕事だなんて無粋極まりない。
そのまま床にごろりと寝転がり、俺はあの死に損ないが扉をもう一度開くのをのんびりと待つことにした。